果たされなかった来日公演
2021年2月の東京交響楽団のコンサート予定に、ジャンルイジ・ジェルメッティGianluigi Gelmettiの名前があったときには、とても懐かしく、この演奏会はかならず行こうと思いました。
プログラムが素敵で、以下のようなラインナップでした。
2021年2月11日(木・祝)14:00@ミューザ川崎
ロッシーニ:歌劇『泥棒かささぎ』序曲
ロッシーニ:歌劇『セヴィリアの理髪師』序曲
ロッシーニ:歌劇『チェネレントラ』序曲
ロッシーニ:歌劇『セミラーミデ』序曲
メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』
イタリア・オペラを代表するロッシーニの数々の名序曲集を前半に、後半には『イタリア』という題をもつメンデルスゾーンの傑作交響曲という、眺めているだけでも胸躍るプログラミング。
それを、イタリア出身の名匠ジャンルイジ・ジェルメッティが指揮するというものでした。
ただ、折りしもコロナ禍が到来して、そのときの来日は入国制限などの事情で見送られてしまいました。
そして、先日、東京交響楽団が来年度のラインナップを発表。
私はジャンルイジ・ジェルメッティのコンサートが、またラインナップされるかどうか楽しみにしていました。
けれど、そこにジェルメッティの名前はなく、そこで何となくインターネットに名前を打ち込んでみたところ、なんと、彼がすでにこの8月に世を去っていたことを知りました。
まったく寝耳に水、思いもよらないことに、すっかり驚いてしまいました。
そうしたわけで、あの楽しみにしていたコンサートは、ついに聴くことが叶わない夢となってしまいました。
果たして、彼の死はどれくらい日本で報じられたのでしょう。
私はまったく知らずに過ごしていました。
私は2度、彼の実演を聴くことができたので、今回は追悼の気持ちも込めて、彼の思い出を振り返って、お薦めの録音も最後にご紹介します。
顧問の先生からゆずってもらった第九のチケット
彼の指揮を聴いたのは、読売日本交響楽団を指揮しての、年末のベートーヴェン「第九」が初めてでした。
これは、私が生演奏で第九を聴いた、人生で最初の機会でもありました。
当時、私は高校の吹奏楽部に所属していて、そこに読売日本交響楽団の方が指導にいらしてました。
その方が、私たちの部活の顧問の先生にチケットを1枚、「先生、お忙しいでしょうが、どうぞよろしかったら」ということで持っていらっしゃいました。
そのやり取りを、遠くから友人たちとうらやまし気に見ていた私。
それに気づいた顧問の先生は「おい、ちょっとこっち来い」と私を呼び寄せました。
そして、その読売日本交響楽団の方に「私よりも、この生徒に聴かせたほうがチケットがいきます。こいつにあげてください」と言ってくださいました。
とっても粋な計らいをしてくださったわけです。
そんなありがたい巡り合わせで、1996年の12月、私は池袋の東京芸術劇場でジェルメッティ指揮する第九を聴きました。
東京芸術劇場に行くのも初めてで、顧問の先生からは「信じられないくらい長いエスカレーターを上がっていくんだ」と教えられましたが、実際、とっても長いエスカレーターでそれも強烈に印象に残りました。
ちなみに現在は、安全面の問題からか形状が変わっています。
そこで体験したジェルメッティの第九は、実に正統的なもので、堂々たる第九でした。
堂々としていたものの、いかにもイタリア人指揮者らしい、颯爽としたテンポのもので、少し粗削りといってもいいような勢いと情熱がありました。
細かなことはもう覚えていませんが、音の重心が少し高くて、高音域の響きがキラキラしていたのは今も覚えています。
それが、私の最初のジェルメッティの思い出です。
ジェルメッティのシューベルト:グレイト
それから数年後に、どういう経緯だったかは忘れましたが、大学で友人からやはり読売日本交響楽団のチケットを譲ってもらいました。
そして、偶然にも、またジャンルイジ・ジェルメッティの指揮する演奏会でした!
これが結果的には、私の最後のジェルメッティ体験になりました。
1999年11月13日、サントリーホールでの公演。
プログラムは、前半にベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(Vn、藤川真弓)、後半がシューベルト:交響曲第8番ハ長調『グレイト』でした。
私にとって、最高のジェルメッティ体験は、このシューベルトの『グレイト』です。
これもまた、大変にテンポが速かったのをはっきりと覚えています。
それはスリリングと言っていいくらいで、次から次へと音楽が溢れかえってくるようでした。
とにかくリタルダンドがほとんど無い演奏で、どんどん音楽が“ 繰り出される ”という表現がぴったりです。
その繰り出される音楽がまとっている爽快さ、幸福感は、圧倒的なものを持っていました。
「息もつかせぬ」というのに近い勢いで、次から次へとシューベルトの美しい音楽が展開していきます。
第1楽章から第4楽章までずっと、美しい音楽が畳みかけられ、浴びせられているようで、新しく音楽が展開するたびに「シューベルトは何て美しい音楽を書いたんだろう」と、何度もため息が出るほどでした。
あの高いテンションが最初から最後までずっと維持されていたのも、今考えてみればすごいことです。
名指揮者だったんだと、あらためて思います。
シューマンがこの曲を「天国的な長さだ」と言ったとおり、いつまでも、どこまでも美しい歌で胸がいっぱいになる、とても心が満たされる演奏でした。
もう20年以上も前のことなのに、あの日のことをこうして思い出すだけでも、胸の奥が少しあたたかくなって、わくわくするんです。
ジェルメッティの師匠でもあった巨匠セルジュ・チェリビダッケの言葉のとおり、音楽とは「体験」であるということでしょう。
たった1回聴いただけの響きが、体と耳と心に、こうしてしっかりと残っているんですから。
お薦めはロッシーニとドビュッシーの録音
彼はルーマニアの伝説的指揮者セルジュ・チェリビダッケの弟子だったこともあってか、録音というものを、その知名度のわりにはそこまで積極的にしなかった印象があります。
チェリビダッケという指揮者は、音楽を人生と同じく一回性のものと考えていて、コピーされ、繰り返されるべきものではないと考えていました。
その瞬間その瞬間、現在という時間のなかにこそ真実があるという哲学でした。
なので、かなり活躍をした指揮者のはずなのに、いざジェルメッティのディスコグラフィを見てみると、断片的なレパートリーしか残っていないのが実際です。
チェリビダッケの哲学のようにわりきってしまえば、確かにそれでいいのかもしれません。
けれど、まだまだ修行が足りない私は、ジェルメッティの録音があるなら、やはり聴きたいと思ってしまいます。
そうして、探してみてまず出会ったのが、ロッシーニの序曲集です。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
これは、ジェルメッティの弾けるような音楽性、その魅力的な躍動感を思い出させてくれる、とっても素敵な録音です。
ロッシーニの序曲集というのは、色々な指揮者がたくさん録音をしていますが、そのなかでも、特に素晴らしい一枚になっています。
それから、シドニー交響楽団の75周年記念にひっそりと収められているドビュッシー作曲の交響詩『海』がたいへん素晴らしいです。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
まず、音色がとてもあたたかいことにちょっと驚きました。
そして、ジェルメッティのきらきらした、高音域の美しい響きが、特に第2曲で光を放っています。
この曲が好きな人には是非聴いてほしい、とっても美しい、隠れた名演奏。
クールで冷静な「海」は最近よく聴かれますが、ジェルメッティの「海」は太陽がきらめく地中海のようです。
そう、まさにこうしたイタリアの海のような、陽性の音楽こそ、ジェルメッティの音楽でした。
そして、彼の動く姿、指揮ぶりも思い出したいと思っていたところ、第九の原型になったと言われているベートーヴェンの《合唱幻想曲 ハ短調》の映像(YouTubeリンクしてあります)があるのを見つけました。
ゲルハルト・オピッツのピアノ独奏、シュツットガルト放送交響楽団と合唱団との共演です。
この曲は、前半はほとんどピアノ独奏という斬新な音楽なので、ジェルメッティの指揮ぶりは後半のほうで観れます。
🔰初めて《合唱幻想曲》を聴いてみるという方は、この後半の合唱が入ってくるところ(YouTubeリンクしてあります)から聴いてみてください。
第九を聴いたときとおなじで、とても正統的な演奏をしています。
ただ、私が聴いた第九のときは、ひとまわり身体も大きくなっていたし、音楽もひとまわり大きかったような記憶がうっすらあります。
2000年頃まではよく彼の名前を見ましたが、近年は来日していたのでしょうか。
いまさらに、もっとそのイタリア的な、光ある演奏を積極的に聴きに行っておけばよかったと思う指揮者です。
久々の再会を心待ちにしていましたが、コロナ禍で叶わぬ夢となった2021年の来日。
コロナというのは、本当に大小さまざまなことをもたらします。
このウィルスと人類がしずかに共存できる日は、いったいいつ来るのでしょう。
今、こうして懐かしく彼のことを思い出せるのも、彼の実演を聴いたからです。
実演に勝るものはありません。
是非、みなさんにも、このブログのお薦めの演奏会のページを参考にしていただいて、素敵なコンサートと出会っていただけたらと思います。