ヴィヴァルディの「四季」といえば、かつてはイムヂチ合奏団のレコーディングが一世を風靡しましたが、1990~2000年代のそれといったら、ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテによる録音がまず筆頭にあげられるのではないでしょうか。
2022年11月、このコンビが銀座の王子ホールで、まさにその「四季」を取りあげたコンサートを聴いてきましたので、そのレビューをつづっていきます。
チケットは即日完売、その人気の高さをうかがわせました。
わたし自身は、このコンビの「実演」を聴くのは、今回が初めてのことでした。
コンサート会場に着いてまず驚いたのが、開演前、音楽家たちが入れ代わり立ち代わりステージに現れては、舞台上のチェンバロにあわせて入念にチューニングをしにていたことです。
そのなかには、ビオンディもいました。
これは休憩時間もそうで、とにかくチューニングを入念に、舞台上のチェンバロでもって行っていました。
ここまでチューニングを丁寧に、ステージに姿を見せてやりに来る演奏家というのは珍しく、演奏に対する彼らの真摯な姿勢を裏づける姿でした。
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ラジオから流れてきた衝撃
私が彼らの「四季」の録音に初めて出会ったのは、今から20年以上前、NHK-FMのラジオ放送でながれてきたものでした。
聴きなれた名曲が、まったく新しい趣きをもって演奏されていて、ラジオから流れてくる音楽に釘づけになりました。
特に、「冬」の第2楽章の演奏には「こんな弾き方をしていいの?」とすっかり驚き、圧倒的に惹きつけられてしまいました。
どういうわけか、当時、このラジオ放送をたまたま聴いていた友人が私の周りには多くいて、すぐに学校の友人から「さっき、すごいヴィヴァルディを聴いたよ」というメールが来たり(当時はまだLineなどなく、メールの時代でした)、それから数日後には、すでに就職していた先輩から「この前、あんまり凄いヴィヴァルディがラジオで流れてきたんで、取引先の駐車場に車とめたまま、最後まで聴いちゃったよ」などと連絡が来たりしました。
ちょっと面白いのが、Amazonの商品ページに、やはりこのときのラジオ放送のことをレビューで書かれている方がいらっしゃること。
あの日、日本中のいろいろなところで、随分たくさんのひとがラジオから流れてくる音楽に強い衝撃を受けていたようです。
プログラムと演奏者について
2022年11月1日(火) 19:00@王子ホール
コレッリ:合奏協奏曲 ニ長調 Op.6-4
ジェミニアーニ:合奏協奏曲 ト短調 Op.3-2
ロカテッリ:合奏協奏曲 ニ長調 Op.1-5
(休憩)
ヴィヴァルディ:『四季』全曲
【アンコール】
ヴィヴァルディ:「夏」~第3楽章
ハイドン:ディヴェルティメントニ長調Hob.III:D3~第5楽章
ヴィヴァルディ:「冬」~第2楽章
本日の主役ファビオ・ビオンディは、イタリアのパレルモ出身のヴァイオリニストで、現在61歳。
1990年にイタリア・バロック音楽のための古楽アンサンブル「エウローパ・ガランテ」を結成。
まもなく録音したヴィヴァルディ「四季」のレコーディングが世界的な評価につながって、以降、バロック音楽の最前線で活躍中です。
私がラジオで聴いたのは、2000年に再録音した「四季」でした。
それらの音源は最後にまとめてご紹介します。
ビオンディの言葉
ぼくは文献的な資料を探すことや原典を綿密に検討して重視することや、作品の書かれた歴史的背景を研究することは支持します。
ですけど、作品の書かれた時代の、あるいはそれと同じ様式の楽器だけを使う、また書かれた時期に特徴的な演奏法だけを用いる、ということには賛成できません。
演奏は、現代のメンタリティーでなされるべきだと考えるのです。
ファビオ・ビオンディ
これは、「音楽家が語る51の物語(1)」レンツォ・アッレーグリ著・小瀬村幸子 訳・出版:フリースペース(←Amazon商品ページにリンクしてあります)におさめられているファビオ・ビオンディのインタビューの一節です。
こちらの本は、イタリアの音楽家を中心としたインタビュー集で、雑誌「音楽の友」に連載されていたものの集成で、一時期、手に入りづらくなっていた記憶があるのですが、2022年現在は、Amazonなどで普通に入手できるようです。
ここには、ジュリーニ、レスピーギの奥さん、テバルディ、シミオナート、パヴァロッティ、アッカルド、ディ・ステファノ、カラス、ベルゴンツィなどなど、ここにはとても名前を書ききれないほどの錚々たる音楽家たちのインタビューが集められています。
私がとくにこの本で感銘を受けたのは、ミラノ・スカラ座の合唱指揮者ガンドルフィのもので、おそらく、この名指揮者へのインタビューというのは他にほとんど存在していないんじゃないでしょうか。
ガンドルフィについては、いずれ稿をあらためるとして、この本のなかには、まだまだ若かった頃のファビオ・ビオンディのインタビューが載っています。
当時の彼はイタリア国内でほぼ無名、そのために自国内でコンサートを開けず、むしろ海外公演で生活しているという、信じられないような話まで披露されています。
そんな彼がこのインタビューのなかで繰り返していたことが、古楽奏法への過度な依存に対する反抗心です。
これは、先見の明のある、そして、とても説得力のある意見だと感じます。
最近、あるオーケストラの演奏会でモーツァルトの序曲のあとにショパンの協奏曲が演奏されたのですが、聴いていて、果たしてビブラートの有無以外に、モーツァルトとショパンへのアプローチのちがい、この両者の音楽の違いは認識されているのだろうかと疑問に思う経験をしました。
近年、ビブラートのような演奏技法上のちがいばかりを意識する、やや短絡的な解決策にたどり着いている音楽家が少なくないように感じるのは残念なことです。
今回、このビオンディの実演に初めて接してみて、なるほど、彼の演奏は彼の言葉のとおりであって、学究的な方向性にだけ依存してしまった演奏家たちとは一線を画する、表現上の「自由」と「責任」を見失っていない音楽家であり、古楽奏法への過度な依存で思考停止に陥ることをさけ、たえず進化を模索している音楽家なのだとわかりました。
音の力強さと“濃さ”
ひとくちに古楽オーケストラといっても、実際に実演に接してみると、録音で感じる以上に、それぞれ響きが異なっているものです。
エウローパ・ガランテの場合、実演で何よりまず印象的だったのが、まさにその“ 音色 ”。
たいていの古楽オーケストラは、鋭角的で、それゆえにすっきりとした、ある種の「清涼感」を重視したひびきを尊ぶ傾向が強いように感じるのですが、このエウローパ・ガランテの響きは、とっても“ 濃厚 ”なものでした。
力強くて、すこし粘り気のあるような、硬質な響き。
それゆえに、ハーモニーの重なりがとっても“ 濃い ”色彩を帯びていました。
水彩画というより、油絵に近いといっていいような、実在感の強い音。
前半は、コレッリ、ジェミニアーニ、ロカテッリという3人のイタリア・バロックの作曲家による「合奏協奏曲」が演奏されました。
たとえば、コレッリが始まると、やがてリーダーであるビオンディのヴァイオリンとそのほかのパートとの掛け合いが始まるのですが、普通なら極力まわりの音をおさえて、その掛け合いが自然に目立つようにするところです。
彼らも、昔の録音ではそうしたアプローチをしていましたが、今回はあまりそうした操作をせず、わりと力業でもって、全体の音の濃度を落とさずに掛け合いをやっていたことにちょっと驚きました。
「小ぎれいなアンサンブルには安住したくない」とでも言うように、音の“ 濃さ ”が重視されて、独自の色合いを帯びていました。
もちろん、例えばロカテッリの作品にはっきりと出ていましたが、そうした濃いめの響きのみならず、イタリアの陽光を浴びた、青く澄んだ海を思わせるような、抜けるような爽やかさを帯びた音色もあって、それは、このコンビがまぎれもない“ イタリア ”の音楽家たちであることを印象づけていました。
でも、以前ドイツのベルリン古楽アカデミーの演奏でヴィヴァルディを聴きましたが、彼らのほうがそうした「軽さ」をよほど前面に出していたようにも思います。
なので、イタリアの音楽家たちの集まりであるビオンディのアンサンブルの“ 濃い ”色彩は、その意外さも相まって、とても印象的でした。
音楽のよろこび
現代のオーケストラの演奏会には行ったことがあるけれど、古楽器のオーケストラのコンサートには行ったことがないという方も少なくないと思います。
古楽オーケストラはもちろん、使っている楽器が古楽器なので、何がちがうと言われたら「響き」がいちばん違うわけですが、音楽の方向性もずいぶんモダン・オーケストラとちがいます。
それは彼らのレパートリー上の特色に起因するものでもあって、例えば、最近、ジョナサン・ノット&東京交響楽団で聴いたベルク、シェーンベルク、ブルックナーというプログラムと、今回のコレッリ、ジェミニアーニ、ロカテッリ、ヴィヴァルディというプログラムとでは、当然、音楽のやっていることが全然ちがってくるわけです。
もちろん、それはあくまで音楽の存在意義のちがい、その時代の人々、天才たちが音楽に求めたものの違いであって、優劣ではありません。
簡単に言えば、今回聴いたようなプログラムは、音楽がまだ素朴な「たのしみ」の枠内にあった時代のものであって、だから、わたしは古楽オーケストラを聴きに行くとき、それがまず何より「楽しい音楽会」であることを期待します。
わたしの経験上、良い古楽オーケストラほど、ストレートに「音楽のたのしみ」や「音楽のよろこび」を感じさせてくれます。
エウローパ・ガランテとファビオ・ビオンディのコンビも、まさにそれをはっきりと感じさせてくれるコンビで、前半の舞台からも、音楽の素朴なよろこび、純粋な躍動、無垢なうつくしさがはっきりと伝わってきました。
真摯な姿勢
そして、このコンビの特徴である、果敢な演奏スタイルがそうした演奏にアクセントをくわえていきます。
彼らの素晴らしいところは、そうした果敢な演奏スタイルを持っていながらも、実に「まじめな」団体でもあるということ。
これは、以前から感じていたものの、実演でもはっきりと感じられました。
果敢な演奏スタイルにもかかわらず誠実さが常に感じられて、つまり、かなりアグレッシブに楽曲に切り込んでいく彼らですが、何をやっても、決して下品になりません。
節度をわきまえていて、そのバランス感覚の鋭さ、美意識の高さには感心してしまいます。
特に、今回のようなイタリア・バロック音楽というのは、演奏スタイルによっては、もっともっと「世俗的」な表現に傾けることができるジャンルです。
でも、彼らがそれを避けているのがはっきりと感じられました。
果敢な演奏スタイルでもって、音楽の内包するものを、誰よりも自由に表現しているのに、それが決して通俗的にはならない、その品格の高さ。
この、一見矛盾しそうなことを見事にやりとげているからこそ、このコンビが世にも稀なアンサンブルとして、長年のあいだ、ずっと世界の最前線で活躍し続けているのでしょう。
鮮度を失いつつある「四季」。だけれども、
このコンビを有名にしたものはヴィヴァルディの「四季」。
そしてコンサート後半には、まさにその「四季」が演奏されました。
今回のアプローチは、2000年の録音の頃とそこまで大きく変化していないもので、その斬新で自由な「四季」は、現在も、その果敢な演奏スタイルを維持していました。
では、あの頃と今とでは何が変わったか。
それは、正直な感想として「新鮮さが失われつつある」ということだと思います。
でも、これは、どうしたって仕方のないことだとも思います。
モダン・オーケストラほど一般的な、ポピュラーなレパートリーがあるわけではない古楽オーケストラにとって、「四季」はとても貴重なレパートリー。
このコンビは、その「四季」で大成功して、1990年代からずっとずっとレパートリーとしているわけで、これまでに、いったい何回演奏しなければならなかったのでしょう。
どんなに新鮮なアプローチだったとしても、時間とともに鮮度が失われていくのは仕方のないこと。
ただ、おそらくビオンディ自身がそれをわかっているところに、彼の良心、音楽への“ 誠実さ ”を感じました。
彼は、そのマンネリズムから脱却しようと、演奏中も絶えず、いろいろなことを試みていました。
そして、私にとって、この2022年11月のビオンディの「四季」の価値は、まさにそこにありました。
「新しさ」への渇望
ふと、ビオンディと同じくイタリアの出身である巨匠クラウディオ・アッバード(1933-2014)の言葉を思い出しました。
アッバードという指揮者は、音楽の趣味が非常にはっきりとしていた方で、例えば、ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場でトップに立って、あれほどオペラの世界で活躍したにもかかわらず、プッチーニをやらない人でした。
あるとき、そうした指摘に対して「私はもちろんプッチーニが嫌いなわけではありません。ただ、つまりは、私は“新しいもの”がとても好きなんです」とだけ答えていました。
この“ 新しさ ”に対する欲求。
それを、今回、ビオンディのなかにも強く感じました。
古楽をやりながらも、そのなかに“ 新しい ”表現を常に求めるという、その一見矛盾する姿勢はビオンディの原点でもあるでしょう。
演奏しすぎてしまった「四季」のなかにも、“ いま ”の表現を模索しつづけているということ。
そこに、音楽家としての彼の真摯な姿勢を見る思いでした。
今回それがうまくいっていたかと言われたら、残念ながら、私にはあの衝撃的な「四季」が少し色あせつつあるように聴こえました。
巨匠チェリビダッケが「朝起きて、その日に指揮するスコアを開いたときに、初めて目にするような新鮮さが感じられれば、その日の演奏はうまくいく」というようなことを言っていた記憶があるのですが、その「新鮮さ」をビオンディもまた、この日、懸命に渇望し、探し求めていたようでした。
もちろん、瞬間、瞬間には新鮮さがたちのぼることもあって、たとえば、「春」第1楽章の“ 泉はそよ風に誘われ,ささやき流れてゆく ”のところ。
そこでは本当に新鮮な風が吹いて、聴いていて「そうだ、この音楽と出会ったころ、まさにここの音楽がいちばん好きだったんだ」と、すっかり忘れていた記憶を呼びおこされたほどでした。
ここはビオンディも、メンバーたちに向かって会心の笑みをもらしていました。
ですから、言い方を変えれば、新鮮さは確かにやや失われたかもしれませんが、それ以外のものはたくさんあったと言ってもいいのかもしれません。
アンコール、美しい音色
アンコールでは、まずヴィヴァルディ「夏」の第3楽章が、なにかを振り切ろうとするような迫力でもって演奏されました。
ビオンディの模索は、ここでも続いているようでした。
つづいて、ハイドンのディヴェルティメント。
これが素晴らしくて、こうしたヴィヴァルディ以外のレパートリーを次回は聴きに行きたいと感じています。
そして、鳴りやまない拍手に応えて、さらにもう一曲、ヴィヴァルディ「冬」の第2楽章が演奏されました。
奇しくも、私が彼らの演奏を初めてラジオで聴いて、いちばん驚き、魅了された曲です。
ついさっき演奏されたばかりでもあるこの音楽に、私はまたまた惹きつけられ、そして、魅了されました。
そうです、大切なことを書き忘れていました。
それは、ビオンディの音色の美しさ。
この「冬」の第2楽章のような作品では、彼の美しい音色が前面に出てきて、思わず耳をすまさずにいられません。
この演奏会の至るところで、ビオンディはその高度な技巧と同時に、その美しい音色をもって、音楽を際立たせていました。
信頼できる音楽家
ビオンディは、さきほどご紹介したインタビューのなかで、エウローパ・ガランテのメンバーはごくごく親しい音楽仲間で構成しているという話をしています。
ぼくたちのグループは人に代わってもらいようがないし、代わってもらうつもりもありません。
もし3人、病気の者が出たら、コンサートのほうを取り止めにします。
オーケストラである以前に仲間ですから。
家族ですから。
ファビオ・ビオンディ
「音楽家が語る51の物語」レンツォ・アッレーグリ著
この言葉どおりの印象を、実際の演奏会からも感じました。
素晴らしい演奏、そして、素晴らしい音楽家たち。
コンサートが終わるころには、すっかり彼らのファンになってしまいます。
チケットが入手しづらいのも納得です。
私もそうですが、きっと会場の多くのひとが「また聴きに来よう」と自然に思ってしまったはずです。
このコンビは何といっても「四季」の演奏が有名なわけですが、こうして実演に接してみると、プログラムがどんな作品であれ、たとえ名前も知らない作曲家の作品ばかりであっても、このコンビであれば信頼してコンサート会場へ出かけていける、そう確信することができました。
信頼の置ける音楽家たちです。
ここに書いたように、彼らにとって「四季」は演奏しすぎてしまったという難しさを抱えています。
なので、むしろ現在は、ほかの作品のほうが、彼らの素晴らしさをよりはっきりと感じられるように思います。
ファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテ。
また聴きに行かずにはいられない、素晴らしい音楽家たちです。
音源の紹介
このブログでは、オンライン配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」でまとめています。
さて、ビオンディとエウローパ・ガランテの名声を一気に高めたのが、こちらの「四季」の録音です。
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そして、私が初めて聴いて驚き、魅了された再録音がこちらです。
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今回のコンサートでとりあげられた曲目もすでに録音があります。
コレッリ:合奏協奏曲ニ長調Op6-4
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ジェミニアーニ:合奏協奏曲 ト短調 Op.3-2
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ロカテッリ:合奏協奏曲 ニ長調 Op.1-5
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
そして、この公演の直前、神奈川で日本初演を行ったヘンデル:歌劇「シッラ」の録音がこちらです。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
それから、私がよく聴いてしまうヴィヴァルディ「マンドリン協奏曲集」もご紹介させてください。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
そして、ビオンディがまだ若かったころのソロ録音も、オンライン配信ではすぐに聴けてしまいます。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ビオンディの次回の来日がいつになるのかはわかりませんが、たのしみに待ちたいと思います。
このブログの「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでは、お薦めのクラシック・コンサートをご紹介しています。
是非、実際にナマのコンサートで音楽を「体験」してみてください。