このブログでは、何度か、指揮者の小林研一郎さん(通称コバケンさん)の公演レビューを載せていますが、今回は、コバケンさんと関係の深い、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団との演奏会を、2晩連続で聴きに行ってきました。
前回にひきつづき、今回はその第2夜についてつづっていきます。
2日間のプログラム
私が聴いた2日間のプログラムは以下の通りです。
2023年1月16日(月) 19:00@サントリーホール
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
(Vn,千住真理子)
【ソリストアンコール】アメイジンググレイス
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
【アンコール】
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
2023年1月17日(火) 19:00@サントリーホール
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
(piano, 仲道郁代)
【ソリストアンコール】
シューマン:“ ショパン ”~『謝肉祭』
チャイコフスキー:交響曲第5番
【アンコール】
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
第1夜の公演レビューは別ページに記載しています。
仲道郁代さんの静かなる「皇帝」
前日は「エグモント」序曲で始まったコンサートでしたが、このコンサートも、やはりベートーヴェンで始まりました。
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」、ピアノ独奏が仲道郁代さんでした。
仲道郁代さんのピアノ、実は一度も実演で聴いたことがなかったということに、会場で気づきました。
私は聴きたい演奏家があまりに多くて、どうしても接する機会が限られる海外のアーティストを優先して聴きに行ってしまうので、まだ聴いたことがない日本人の音楽家の方がたくさんいらっしゃいます。
ですので、これが、初めての仲道郁代さんの生演奏ということになりました。
第1楽章、オーケストラは前日後半の響きをまだ引きずっているようで、彼らの本領発揮とは言えない、やや硬さを感じさせる音で始まりました。
仲道郁代さんは、小さな体でヤマハのピアノを目いっぱいに鳴らして開始しますが、やはり、そこは体格の限界も感じられ、いくぶん、量感が不足しているような印象で始まりました。
それが、しばらくして、第1楽章のまんなかあたりまで来たときでしょうか。
音楽がすっと落ち着いて、だんだんと、ホールが静寂で満たされはじめました。
オーケストラは均整のとれた芳醇なひびきを取りもどして、そこに、仲道郁代さんの無理のない、でも、とても美しく、澄んだ音が静かに重なり合って、“ 詩的 ”な世界が出現し始めました。
仲道郁代さんが、こういう世界観を持っている方だということを、この瞬間まで、私はまったく知りませんでした。
とりわけ、高音域のきらめくような美しさは印象的で、その淡い色彩には“ 可憐さ ”さえ感じられて、この長大な規模の第1楽章にあるリリシズムが、最大限に引き出された演奏が展開されました。
そうしたピアニズムなので、つぎの第2楽章も抒情味あふれる音楽になりましたが、さらに印象的だったのが、第3楽章です。
この快活な楽章においても、決して無理にダイナミズムを追求することなく、むしろ、非常に美しいデクレッシェンドが描かれることで、弱音をベースにした、静かなるベートーヴェン像が描かれていきました。
いわゆる第5番「皇帝」のものというより、第4番の風情に近いと言っていいかもしれません。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番のあいだに、これほどのつながりを感じさせられたのは初めての経験でした。
それに、仲道郁代さんの粒のそろった音、くっきりとしたアーティキュレーションによる、大きくなり過ぎない音楽は、少しモーツァルトを思わせるような瞬間があります。
無理のない、自然なスケール感で、清潔につむがれていく音楽。
この演奏で聴いていると、ベートーヴェンのなかにも、たくさんのモーツァルトがいるということがわかります。
力強さよりも、“ 可憐さ ”を感じさせた、静かなる「皇帝」。
このベートーヴェンの傑作は、演奏される頻度が高いわりには、なかなか納得のできる演奏に出会えない作品だと思いますが、私は、この演奏にはとってもひきつけられるものがあって、第3楽章のコーダに入ったときに「あ、もう終わってしまう…」と残念に思ったくらいでした。
瞬間への陶酔
この演奏を聴いていて、仲道郁代さんのピアノのみならず、同時にいっそう理解されたのが、コバケンさんの「その瞬間、その瞬間での陶酔」という芸風です。
私は、楽曲の構成がはっきりと伝わってくる演奏により共感と魅力を感じるのですが、やはりコバケンさんはそういうタイプではないようで、「瞬間」の美しさをクローズアップして、そこに没入していく方なんだとわかりました。
この「皇帝」でも、非常にうつくしい伴奏が陶酔的に綿々とつむがれていくところが散見されて、そうした場面で、さらに仲道郁代さんが高音域の弱音でピアノを重ねていくと、もう、それだけで有無を言わさず、耳をうばわれるような音楽が出現します。
だから、いっぽうで、そうした箇所を通り過ぎたあとに、ふと、自分がこの曲のどのあたりに居て、音楽がどう構築されているのかという視点に立つと、やはりよくわからない嫌いがあります。
いまひとつ、音楽の“ 形 ”が見えないというか。
ただ、やっぱりここまでの陶酔、ある意味でのデフォルメは、他の音楽家には求められない凄みがあるのも事実で、ここに確かに存在する「美しさ」を否定することは私には難しいです。
本当に美しい「皇帝」でした。
仲道郁代さんは、どの指揮者とでも、こうした「皇帝」を演奏するのか、あるいは、コバケンさんとの共演だからこその演奏だったのか。
いずれにしても、この「皇帝」は一聴の価値のある、ユニークで忘れがたい、そして、極めて美しい演奏になっていました。
なるほど、これがコバケンのチャイ5
さて、後半は、いよいよチャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調です。
小林研一郎さんといえば、このチャイコフスキー:交響曲第5番なわけですが、私はこれが初めての体験でした。
「コバケンのチャイ5」は、それこそ何種類もCDが出ているのは知っていますが、どうしても私はコバケンさんの「うなり声」が苦手で、それらもまだ聴いたことがありません。
というわけで、コバケンさんの十八番の初体験です。
まず、とっても面白いと思ったのが、もうその冒頭から「空気感がちがう」ということ。
水を得た魚、というような雰囲気が、あっという間にホールに広がりました。
そうして初めて体験したチャイコフスキーの5番は、これはもう、他の誰でもない、「コバケンのチャイ5」という言葉がふさわしい、まったく独自の色に、完全に染め上げられた音楽になっていました。
まさに「瞬間」への固執の連続。
ありとあらゆる瞬間がそれぞれに描き分けられて、あるときは叫び、あるときは泣いて。
演奏を最後まで聴いて感じたことは、昨年末に「史上最高の第九に挑む」を聴いたときと同じで(公演レビュー)、感動というよりは、素直に「面白かった」という印象です。
ただ、もう何年も何年も作り込まれている演奏スタイルということもあって、音楽に「いま、生まれている」という新鮮さがなくなっていたことは悔やまれました。
もしこれが、まだ発展途上の段階で耳にできていたら、さぞかし凄みがあっただろうと、容易に想像できます。
でも、そうは言っても、ここまでのものになると、良い意味で「一代の芸」として成立している面白さがあります。
なるほど、これが好きで何回も聴きに行くひとの気持ちもわかるし、コバケンさん自身が何回も指揮したくなる気持ちもわかります。
オーケストラ側も、コバケンさんと何度もこの曲で共演しているのか、そうした独自のテンポ変化や緩急の変化に、まったく動じることなく、見事なまでについていきました。
解釈の性格上、響きは粗くなっていましたが、美しさよりも熱量で応えているという演奏で、「コバケンのチャイ5」を献身的に支えていました。
アンコールのこと、日本人の血
アンコールは前日と同様、マイクを持ったコバケンさんによるトークがあり、ブラームス:ハンガリー舞曲第5番を「2種類」の解釈で聴かせるという展開になりました。
まずは、普通の演奏で冒頭の箇所だけを演奏します。
そのあとにコバケンさんが「これだと、日本人としての、わたくしの血がまったく入らないので、少し浪花節みたいになるかもしれないけれど、ここに、わたくしの音楽もまじえるとこうなります」というようなお話があって、コバケン流のブラームス:ハンガリー舞曲第5番が始まりました。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
いま探してみたら、日本フィルとの録音があったので、ここに引用しておきます。
演奏解釈はこれと似たようなスタイル、というか、この日本フィルのほうがうまくいっているかもしれません。
興味深かったのが、この非常に独特なブラームスを、コバケンさんは「独特にしよう」としてやっているということです。
無意識ではなく、意識して音楽を作り込んでいるということ。
「日本人である自分の血」を入れようとしてやっているということ。
最近は「無私」の精神を説く指揮者が多いですし、よくその代表格として、イタリアの巨匠カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)の名前が挙げられたりしますが、でも、そのジュリーニが「芸術家であるならば、そこに自分の刻印がなければなりません」という言葉を残していることも忘れていはいけないと思います。
日本人としての自分の刻印を、コバケンさんは意識して、ここに刻んでいるということでしょう。
ただ、浪花節調のハンガリー舞曲第5番は、個性的と言えば個性的で、おもしろかったと思わないでもないですが、やっぱり、私には少しへんてこりんな感じがしました。
2日間聴いてみての「まとめ」
第1の発見は、オーケストラです。
ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団という、非常に美しい音を持った楽団の存在を知ることができました。
普段はどのような指揮者陣でコンサートをやっているのかわかりませんが、とても好感の持てる、気になるオーケストラです。
第2の発見は、仲道郁代さん。
あの「皇帝」はほんとうに美しい、非常に優れたベートーヴェンでした。
そうして調べてみたら、小林研一郎さんと仲道郁代さんは、2023年の9月にも、今度は日本フィルハーモニー交響楽団と「皇帝」をやるようです。
「2023年9月のおすすめコンサート【 クラシック初心者向け 】~随時更新~」のページに追記しました。
是非、コンサートでその実演に接してみていただきたい「皇帝」です。
仲道郁代さんには、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマー・フィルとの録音があったのを思い出して、オンライン配信で見つけて聴いてみましたが、今からほぼ20年前(2004年録音)のそちらのものより、私は、現在の仲道郁代さんの「皇帝」のほうに圧倒的な魅力を感じます。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
オンライン配信の聴き方については「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」という記事にまとめています。
というわけで、コンサートというのは予測不能なところがあって、思いがけない体験につながった2日間のレポートをお届けしました。
小林研一郎さんと海外オーケストラの組み合わせとしては、2024年の1月に、プラハ交響楽団との共演が予定されているようです。