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ジョナサン・ノット(指揮)
東京都交響楽団
辻彩奈、吉野直子
忘れがたいブルッフ
「スコットランド幻想曲」
開演前のおどろき
2026年10月2日(金)サントリーホール、その開演前のひととき。
ステージ上ではさまざまな楽器の奏者たちが、それぞれに音出しをしています。
それらを何となく耳にしながら、わたしは入口でもらったパンフレットに目を通していました。
そうしていると、そのなかから、ふと目の覚めるような、飛びぬけて美しいハープの響きがかすかに聴こえてきました。
ステージ上に目をやると、何と、この日のソリストの吉野直子さんがハープを奏でていました。
N響のチェロ奏者だった徳永兼一郎さんが稽古場でチューニングをはじめると、その音の美しさに、周りにいるひとたちが無意識にみんな振り返ったという逸話を聞いたことがありますが、まさにその話を思い出しました。
もちろん、使っている楽器もちがうのでしょうが、でも、きっとそれだけではないはずです。
名手というのは、なにをしても名手なのだと、読みかけのパンフレットを閉じて、ステージ上から聴こえてくるハープの音に耳をすませました。
「フィンガルの洞窟」
イギリスの名指揮者ジョナサン・ノットは、昨年まで東京交響楽団を率いて、類まれな12年間の黄金時代をきずきました。
もう、しばらく日本で聴けないのかと残念に思っていたところ、幸いなことに、東京都交響楽団=都響に初登場ということで、この公演に足を運びました。
さて、演奏会冒頭は、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy1809-1847)の「フィンガルの洞窟」。
初共演ということもあるのでしょう。
ダイナミクスやバランス、アンサンブルにおいて、どこか不安定さが常に感じられて、耳慣れたこの名曲にどっぷりと身を任せられるという感じはしませんでした。
素晴らしい演奏だったのは間違いないのですが。
この日の白眉「スコットランド幻想曲」
ただ、何といっても、この日の白眉はつづく2曲目、ブルッフ(Max Bruch, 1838 – 1920)の「スコットランド幻想曲」でした。
ヴァイオリン独奏が辻彩奈さん、ハープが吉野直子さん。
辻彩奈さんのヴァイオリンは、私にとって、この日最大の発見でした。
といって、彼女の演奏を聴くのは初めてではありません。
直近では数年前に、ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団の日本公演でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾くのを聴いたのですが、それは、率直に言って、ひどく退屈な演奏でした。
客席で、とにかく時間が過ぎるのを待っていたのをおぼえています。
あのときは、後半がマーラーの交響曲第6番「悲劇的」で、そちらはそちらで、アグレッシブ一辺倒なノットの解釈に閉口して、さんざんな公演でした。
ですから、私はこの日、2曲目のスコットランド幻想曲のソリストが辻彩奈さんだと知って、まったく期待せずに客席に座っていました。
ただ、舞台に彼女が姿をみせたとき、以前とは風格というか、存在感がちがっているのは目を引きました。
ただ、それも近年、アルゲリッチのような大家が彼女とよく共演しているので、その分、自信がついているだけだろうと思いました。
ところが、ノットと都響の前奏につづいて、彼女が弾きはじめた途端、その響き、その音楽に、ただただ驚き、呆気にとられました。
私が数年前に退屈でどうしようもなかった、あのヴァイオリニスト。
彼女は、私が知らない数年のあいだに、まったくの別人になっていました。
磨き抜かれた音色で、ひとつひとつのフレーズ、ひとつひとつの音が、実に音楽的であり、たくさんのことを物語っていました。
そして、彼女がじつによく自分自身の音を注意深く聴いていることもわかりました。
なるほど、近年のアルゲリッチが彼女とよく共演するのは当然です。
これほどのヴァイオリニストに成長していたとは、まったくもって、夢にも思っていませんでした。
「スコットランド幻想曲」は演奏者によっては、ひたすら華麗なショーピースにもなる作品ですが、辻彩奈さんは、この作品の華麗な技巧性をみごとに活かしながら、各楽章の個性を丹念に描きわけました。
もちろん、その土台にあるのは、ジョナサン・ノットの構築的な音楽作りであって、辻彩奈さんはその指揮者の方向性をしっかりとつかみ、受け止めていました。
これほど立派で、これほど華麗で、これほどノスタルジックで、しかも、これほど楽しい「スコットランド幻想曲」は、これまで実演で一度も耳にしたことがありません。
この演奏は、この作品の最上の表現のひとつだったと言って、決して言い過ぎではないように思います。
この演奏のとき、ステージ上にはたくさんのマイクが設置されていたので、もしかしたら、ライヴ録音されていたかもしれません。
もしこれが録音としてリリースされたら、とても嬉しいことです。
この作品では、ヴァイオリンと並んで、ハープもまたソリストとしての位置を与えられます。
今回は吉野直子さんという、最上の共演者を得ていたわけですが、残念ながら、実際のホールでフル・オーケストラのなかに入ってしまうと、ハープ1台の音量では、どれほど美しい音であっても埋没しがちで、思っていたほどは聴こえてこなかったのが現実です。
ただ、そこら辺も録音となれば、よく聴きとれるように調整されるはずですから、期待して待ちたいと思います。
「葬送の歌」
演奏会後半は、ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky、1882 – 1971)の「葬送の歌」という作品で始まりました。
リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov, 1844-1908)の追悼として書かれたものの楽譜が失われ、2015年になって楽譜が発見され、ゲルギエフによって復活初演された作品です。
バレエ音楽「火の鳥」の2年前の作品です。
私は、実演では今回初めてこの作品を聴きました。
作曲者本人が「火の鳥」以前の作品ではいちばんの出来と評していたそうですが、特徴的で異彩を放つ和声、その落とす陰の深さと意表を突くダイナミクスの振幅は、実演で聴くといっそう印象深い作品です。
ノットの引き出す音楽は、葬送というにはやや輝きが強いようにも感じましたが、元来そういう音楽なのか、いずれにしても天才の片鱗をはっきりと感じさせられる面白さがありました。
「法悦の詩」
演奏会の最後は、スクリャービン(Aleksandr Skryabin, 1872 -1915)の「法悦の詩」(交響曲第4番)。
ジョナサン・ノットは、初共演の都響から濃厚な色彩を引きだしつつ、一貫した緊張感でもって、この20分のスクリャービン独自の世界を描いて見せました。
ただ、素晴らしい演奏だったのは間違いないのですが、比較的早い段階でトゥッティの音量が飽和してしまった感がありました。
その結果、クライマックスもいまひとつうまく形成されず、実際以上に複雑な作品として聴こえてきた嫌いがあったように感じます。
終盤、大音量のクライマックスが築かれていくなかで、やや美感を欠いた、金属的なフォルテの響きが聴こえてくることもあり、これが古巣の東響であったら、もっと純度が高い状態にまで持って行けたのではないかと思ったりもしました。
ノットと都響の初共演は、
今回聴いていて気づいたのは、ノットは思いのほか、オーケストラに任せる部分が多い、余白のある指揮をしているのだということです。
いつも通り明瞭に音楽的主張が発せられているいっぽうで、客演である今回は、楽団の主体性にゆだねている部分もはっきりと見られて、こうした一面は、長年のコンビを組んだ東響との公演ではそこまで強く感じられなかったので、面白い発見でした。
「スコットランド幻想曲」の忘れがたい演奏があったものの、冒頭のメンデルスゾーンやおしまいのスクリャービンを見る限り、結果的には、今回の両者の初顔合わせは会心の出来映えというまでには行かなかった、というのが私の率直な印象です。
コンサートマスターは、以前、東響でノットとコンビを組んでいた水谷晃さんでしたが、演奏後の笑顔がやや少なかったようにも見えたのは私の思い込みでしょうか。
ノットはまだ都響ともう1つ別のプログラムがあって、そちらでは大曲のブルックナー:交響曲第6番がメインに置かれています。
インバルなどとの共演で、ブルックナーに独自の演奏歴をもつ都響とのブルックナー。
果たしてそちらはどうなるのか。
幸い、そちらの公演も聴きに行ける予定なので、もし何か綴っておきたいほどの公演になったら、またレビューを寄せたいと思います。
MASSE(まっせ)
クラシック音楽を長く聴き続けています。コンサートにも足を運び、良かった演奏も、期待外れだった演奏も、自分の耳で聴いて感じたことを大切に書いています。「自分なら本当に聴きたいか」を基準におすすめ公演やレビューを発信しています。クラシック音楽ブログArtoneMagアートーンマグは2021年5月スタート、2023年4月に月間86,000pv到達。感想など「お問い合わせ」ページから送ってください。













