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ローター・ツァグロゼク Lothar Zagrosek(指揮)
読売日本交響楽団
ブルックナー
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
昨年2025年の2月以来、およそ1年半ぶりに目にする83歳のツァグロゼク氏は、前回より瘦せた様にも見え、指揮台にむかう足の運びも心もとないです。
前半のプログラム、R・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲のソリストである、フランスの名手ルノー・カプソンも、それとなく手を添えたり、なにかと気遣う姿に彼のこまやかな人間性が感じられます。
指揮台には、以前はなかった長椅子のようなものが設置されていて、ツァグロゼクは座っての指揮ということになりました。
そう、それでいい。というか、それがいい。
私はまだまだ若輩ものなのでわかりませんが、高齢になっても頑なに椅子を使わない指揮者は少なくないように感じます。
クレンペラーやらヨッフム、ベーム、カラヤン、チェリビダッケ、みんな晩年は座って指揮していました。
私は座っての指揮には大賛成です。
R・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲
前半のR・シュトラウス:ヴァイオリン協奏曲Op8は、作曲者がまだ若かったころ、18歳ころの佳作。
ブラームスなどの影響を感じさせると言われる初期の作品で、実際、前期ロマン派と後期ロマン派の過渡期のようなものを感じさせる作品です。
あまり演奏されない作品ですが、それでも、その過渡期のような、未整理といっていいような楽想のなかに、後年のR・シュトラウスの音楽がちらりと顔を見せるうえに、美しい旋律もふっと表れたり、18歳でこれを書いてしまうあたり、脱帽するしかありません。
ただ、これは聴かせるのがむずかしい作品であることも間違いありません。
若いシュトラウスの意欲もあってか、全3楽章で30分。
それをルノー・カプソンは弛緩することなく、非常に誠実な演奏で聴かせてくれました。
このひとのリサイタルは、いつか聴きに行かなければいけないと思わされる、実直な演奏でした。
カプソンは確かこの作品をレコーディングもしていたはず、と思って探したら、やはりありました。
( Apple Music ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ここには、6年ほどあとに完成されたヴァイオリン・ソナタOp18も収められています。
このソナタのほうが、協奏曲とくらべて、ずっと作品として魅力的に感じられます。
私はこのヴァイオリン・ソナタは好きでよく聴くのですが、よもや20代半ばの作品とは思っていませんでした。
このソナタと同じ年に、あの交響詩「ドン・ファン」が作曲されています。
わずか数年での、若きシュトラウスの成長の速さを感じさせられます。
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
さて、コンサートに話をもどすと、何といっても、この公演のメインディッシュは後半のブルックナーです。
昨年2月にブルックナーの第5番の交響曲で圧倒的な演奏を刻んだツァグロゼク。
➡2025年公演レビュー「ツァグロゼク賛~82歳、読響とのブルックナー交響曲第5番」
今回は、ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」が選ばれました。
第1楽章の冒頭、上声の弦楽器のトレモロが弱すぎたのか、コントラバスの伸ばしている音が表面に出てきたアンバランスにはちょっと驚きましたが、ホルンの主題が鳴り響くころにはバランスも整い、そこから先はもう、夢のような演奏でした。
すっきりとしたテンポにもかかわらず、遅いテンポでも得られるかわからないような音楽の深い呼吸があって、あらゆる瞬間に祝福の響きがホールを満たします。
昨年も感じられたように、ツァグロゼクはオーケストラから、森の響き、木々の音を引きだします。
声高に叫ぶこともなく、神経質に弱音になることもなく、あくまで自然体にオーケストラが鳴らされていくのに、ダイナミクスの振幅はとても広く、何の不足も感じさせません。
第1楽章は展開部をはじめ、音楽の起伏に劇的なところが少なくありませんし、特に今回取り上げられた「第3稿」はティンパニの扱いに劇的なものが感じられましたが、いずれの箇所においても、ツァグロゼクの音の出し入れの明瞭さ、クレッシェンドとデクレッシェンドの描く軌跡の鮮やかさと意味深さ、そして、その美しさはため息が出るほどです。
作品の展開が見事なまでに自然に運ばれ、それでいて、あらゆる瞬間に固有の美しさがある。
もし会場にブルックナー本人が座っていたら「まさに自分が書いた通りの音がしている」と満面の笑みを浮かべたと思います。
昨年も書いたと思いますが、いかにツァグロゼクといえど、ここまでの芸術に到達するのに80余年以上の人生の年輪が必要だったのかと思うと、人生の意味、老いることの価値を考えさせられます。
そして、これほどのものは、仮にヨーロッパに住んでいたとしても、そう聴けるものではないはずです。
少なくとも、あの瞬間、世界で最もすばらしいブルックナーはサントリーホールに響いていたと断言できます。
第1楽章を聴いた時点でそうまで確信したのですが、実際、この第1楽章が、この日の音楽的なクライマックスだったように思います。
第2楽章から終楽章
第1楽章がおわって、楽章間の休みをわりとあっさり切り上げ、ツァグロゼクが第2楽章へ進もうとしたときに、ちょっと不安を感じました。
あれほどの完成度を誇る第1楽章を成し遂げてしまって、できれば、もうあと10秒、あいだを空けてほしいという気がしました。
まだ第1楽章のこだまが会場内に残っている気がしました。
それでも、第2楽章のはじめは非常に立派なもので、まるで僧院のなかにいるかのような、神聖な静寂を感じさせられました。
ただ、音楽が先へすすむなかで、演奏がだんだんと大味になってしまったのは惜しまれます。
なにが起こったのかはわかりませんが、音楽の密度、集中度がいちだん下がってしまった感がありました。
もちろん、ツァグロゼクもそう感じていたはずで、途中、テンポをすこし上げようとしていたようにも見えましたが、功を奏さず、第2楽章、それから、第3楽章の途中まで、その状態がつづきました。
その演奏が息を吹き返したように感じられたのは、第3楽章の後半になってから。
そこから先は、ふたたび非常に立派な、見事な出来栄えとなりました。
今回の「第3稿」というのは、私が耳慣れている第2稿とはずいぶん違っていて、とくに後半2楽章はその違いにいろいろと驚かされました。
第3楽章スケルツォで演奏が息を吹き返したのも、その新鮮さが何かしら役だったのかもしれません。
終楽章にも、聴きなれない展開が何か所もありました。
けれども、そのいずれもが、いかにも自然に展開され、違和感を感じさせられないのは、現代の数少ないブルックナー指揮者といってよいツァグロゼクの成せる業だったと思います。
そして、昨年の第5番と同様に、必要にして十分なクライマックスが、あくまで自然体な音楽のなかに、壮麗に築かれました。
ツァグロゼク、御年84歳
中間2楽章の密度がさがったことについて、こうしたときにいつも思うのは、ブルックナーの交響曲がメインのコンサートは、前プロがなくていいということです。
今回で言えば、もちろん、カプソンのソロによるシュトラウスの出来が悪かったわけでは決してありません。
ただ、やはり集中力というものには限界もあるわけで、もしこれが「ロマンティック」1曲だけの公演だったら、中間楽章の傷はなかったのではないかと思います。
ブルックナーの交響曲1曲だけの公演だったとして、誰も文句はなかったでしょう。
ローター・ツァグロゼク、御年84歳。
カーテンコールでの、舞台袖から指揮台への足の運びも、やはり不安定。
見ていて何度もハラハラしました。
介添えのひとがつくか、せめて杖でもいいので使ってほしいと思いました。
これほどのブルックナーがごく一部の人たちにしか称賛されていないのはどうしてなのでしょう。
不思議でなりません。
それこそ、一流の楽団であればあるほど、彼のような指揮者とブルックナーをやっておくべきです。
楽団の音楽にとって、おおきな、おおきな遺産になります。
ローター・ツァグロゼク、果たして日本であと何回聴くことができるのでしょうか。
ツァグロゼク氏の健康と末永い活躍を祈りつつ、できることなら、また来日してブルックナーの交響曲などを聴かせてほしいと切に願っています。
MASSE(まっせ)
クラシック音楽を長く聴き続けています。コンサートにも足を運び、良かった演奏も、期待外れだった演奏も、自分の耳で聴いて感じたことを大切に書いています。「自分なら本当に聴きたいか」を基準におすすめ公演やレビューを発信しています。クラシック音楽ブログArtoneMagアートーンマグは2021年5月スタート、2023年4月に月間86,000pv到達。感想など「お問い合わせ」ページから送ってください。
















